ツタンカーメンの墓を暴いた者は呪われる
3000年以上の眠りを破られた少年王。発掘の出資者は、わずか数か月後にこの世を去りました。
噂の内容
1922年11月、エジプト・王家の谷。考古学者ハワード・カーターは、ついに探し求めていた墓の入り口を掘り当てました。古代エジプトの少年王、ツタンカーメンの墓です。中には黄金のマスクをはじめ、目もくらむような財宝が眠っていました。世紀の大発見に、世界中が熱狂しました。盗掘をほとんど免れた王墓が見つかるのは、きわめてまれなことだったのです。
ところが翌1923年4月、発掘の資金を出していたイギリスの貴族カーナヴォン卿が、エジプトのカイロで亡くなります。蚊に刺された跡を、ひげそりの際に傷つけてしまったことが原因の一つとされます。そして、奇妙な噂が次々と流れ始めました。卿が亡くなった瞬間、カイロの街の明かりが一斉に消えた。遠くイギリスの屋敷では、卿の愛犬が遠吠えをして息絶えた、と。
新聞は「ファラオの呪い」と書き立てました。墓の中には、王の眠りを妨げる者に死が訪れる、という呪いの言葉が刻まれていた、という話まで広まります。その後も、発掘に関わった人々の死が報じられるたびに、呪いの噂は大きくなっていきました。『シャーロック・ホームズ』の作者コナン・ドイルまでもが、超自然的な力の関与をほのめかしたと伝えられます。
黄金に輝く少年王の顔は、静かに侵入者たちを見つめ返していたのかもしれません。
ささやかれる証拠
出資者の
急死 発掘の出資者カーナヴォン卿が、墓の発見から半年足らずで亡くなったことが呪い説の出発点です。タイミングの悪さが、噂に強い説得力を与えました。
停電と
愛犬の 死 卿の死の瞬間にカイロが停電し、イギリスでは愛犬が死んだ、という話が伝わっています。遠く離れた場所で同時に起きた出来事が、超自然的な力を感じさせました。
関係者の
死の 報道 発掘に関わった人や墓を訪れた人が亡くなるたびに、新聞が呪いと結びつけて報じたと言われます。報道が繰り返されるほど、呪いの存在が既成事実のように語られていきました。
表向きの説明
カーナヴォン卿の死因は、傷口からの感染症や肺炎などと考えられています。墓に呪いの言葉が刻まれていたという話については、そうした碑文は確認されていないとされます。発掘を率いたカーターは、その後も長く調査を続け、1939年に64歳で亡くなりました。
2002年には、イギリスの医学誌に、墓の開封に立ち会った人々とそうでない人々の寿命を比べた研究が発表され、はっきりした違いは見られなかったとされています。呪いの噂は、世紀の発見に沸く当時の報道合戦の中で大きく広まったものと考えられています。取材を独占された他紙が、話題づくりに走ったという見方もあります。
ちなみに、ツタンカーメンの墓から見つかった副葬品の中には、鉄の刃を持つ短剣があります。2016年に発表された分析では、この刃の鉄は隕石に由来するものだった可能性が高いとされました。まさに空から降ってきた金属で作られた、王のための特別な剣だったのです。
さて、あなたはどちらを信じますか。この噂、誰かに話したくなったら