ロシア皇女アナスタシアは生き延びていた
皇帝一家が処刑された夜、末の皇女だけが逃げのびた。その女性は、ベルリンの運河から現れました。
噂の内容
1918年7月、ロシア・エカテリンブルク。革命によって退位させられた皇帝ニコライ2世とその家族は、幽閉されていた屋敷の地下室で銃殺されたとされています。皇后、4人の皇女、そして皇太子。300年あまり続いたロマノフ王朝は、こうして悲劇的な終わりを迎えました。当時アナスタシアは、17歳だったとされます。
ところが、ほどなくしてある噂がヨーロッパを駆けめぐります。末の皇女アナスタシアだけは、奇跡的に生き延びたのではないか。遺体の行方ははっきりせず、処刑の詳細も長く闇に包まれていたため、人々は小さな希望を捨てきれなかったのです。銃弾を受けながらも、ひそかに運び出された皇女がいたのではないか。
1920年、ドイツ・ベルリンの運河で、身投げを図った若い女性が救助されました。やがて彼女は、自分こそがアナスタシアだと名乗り出ます。のちにアンナ・アンダーソンの名で知られるこの女性は、宮廷の内情に通じているかのような話をし、皇女を知る人々の中にも本人だと信じる者が現れたと言われます。
彼女は本物の皇女なのか、それとも。彼女はのちにアメリカへ渡り、1984年に亡くなるまで、自分は皇女だと主張し続けたとされます。その答えをめぐる論争は、彼女が亡くなったあとまで続くことになります。
ささやかれる証拠
行方の
わからない遺体 処刑後、一家の遺体は隠され、長い間どこに埋められたのかわかりませんでした。遺体が確認できないことが、生存説を生み続けました。
宮廷を
知る 女性 アンナ・アンダーソンは、皇室の人々しか知らないような話をしたと言われます。本物だと信じた支援者もいて、その存在が伝説を支えました。
長引いた
裁判 彼女が皇女であると認めさせようとする裁判は、ドイツで長年にわたって争われたとされます。決着がつかない状態が、謎をいっそう深めました。
表向きの説明
1991年、エカテリンブルク近郊で皇帝一家のものとみられる遺骨が発掘されましたが、皇太子と皇女一人分が見つかっていませんでした。その後2007年に残る二人分とみられる遺骨が見つかり、DNA鑑定の結果、一家全員が亡くなっていたと結論づけられたとされます。
アンナ・アンダーソンについても、彼女の死後に残された組織を使ったDNA鑑定が行われ、ロマノフ家との血縁は認められず、ポーランド出身の女性と一致したと報告されています。それでも、悲劇の皇女が生きていてほしいという願いは、多くの映画や物語の中で生き続けています。
ちなみに、アナスタシア生存説を題材にした1956年のアメリカ映画『追想』では、主演のイングリッド・バーグマンがアカデミー主演女優賞を受賞しています。のちにはアニメ映画やミュージカルにもなり、一人の女性をめぐる謎は、世界的なエンターテインメントの題材として愛され続けています。
さて、あなたはどちらを信じますか。この噂、誰かに話したくなったら