日本で最初にラーメンを食べたのは水戸黄門だった
「この紋所が目に入らぬか」でおなじみのご老公。実は日本のラーメン史の、最初のページに名前が載っていると言われます。
噂の内容
諸国を漫遊し、悪を懲らしめる水戸黄門。テレビ時代劇でおなじみのこの人物のモデルは、江戸時代前期の水戸藩主、徳川光圀です。実際の光圀は全国を旅したわけではないとされますが、学問を好み、新しいものへの好奇心にあふれた人物だったと伝えられています。そして、その好奇心は食べ物にも向けられていたというのです。
光圀のもとには、中国・明の国から日本へ亡命してきた儒学者、朱舜水が招かれていました。光圀は朱舜水を師として深く敬い、学問だけでなく、中国の暮らしや料理についても教えを受けたと言われます。そのなかに、小麦粉で作った中国風の麺、つまりラーメンの祖先のような料理があったというのです。
伝えられるところでは、光圀はこの麺を自ら打ち、家臣たちにふるまったこともあったとされます。麺にはレンコンの粉を練り込み、スープには中国風の味付けを施し、ニラやニンニク、ネギなどの薬味を添えた。そんな具体的な話まで語られ、「日本で最初にラーメンを食べたのは水戸黄門」という説は、長く定番のうんちくとして親しまれてきました。
ところが近年、この「最初」の座を揺るがす話が浮上します。光圀の時代よりもさらに200年ほど前、室町時代の記録に、ラーメンに近い麺料理が登場していたというのです。ご老公の印籠をもってしても、歴史の謎を一刀両断とはいかないのかもしれません。
ささやかれる証拠
朱舜水との
深い 縁 明から亡命した朱舜水が光圀に招かれ、水戸藩で重んじられたことは歴史上よく知られています。本場の中国人が身近にいたという事実が、ラーメン伝説に説得力を与えています。
家臣の
日記に 残る 記録 光圀が家臣に麺料理をふるまったことは、当時の人物の日記に書き残されているとされます。伝説ではなく文字の記録があることが、この説の強みになっています。
水戸藩ラーメンの
復活 伝承をもとに再現された「水戸藩ラーメン」が、水戸市周辺で提供されていると言われます。実際に味わえることで、話がより身近に感じられます。
室町時代の
「経帯麺」 室町時代の禅僧の日記に、中国の料理書をもとにした「経帯麺」という麺が登場するとされます。これが事実なら、光圀より前に日本でラーメンに近いものが食べられていたことになります。
表向きの説明
徳川光圀が朱舜水から中国の麺料理について教わり、それを食べたという話は、江戸時代の記録をもとに語られてきたものとされます。ただし、当時の麺が今のラーメンとどこまで同じものだったのかははっきりせず、「ラーメンの先祖のようなもの」と考えるのが一般的です。
2017年ごろには、新横浜ラーメン博物館が、室町時代の京都の禅寺の記録に「経帯麺」が登場することを紹介し、話題になりました。この麺は、かん水に近い性質のものを小麦粉に加えて作られたとされ、光圀より古い「日本最古のラーメン」の候補として取り上げられています。とはいえ、何をもって「ラーメン」と呼ぶかによって答えは変わり、今のようなラーメンが広く食べられるようになったのは、明治以降、港町の中華街や東京の中華料理店を通じてだと言われています。
ちなみに、時代劇の水戸黄門は全国を旅していますが、史実の光圀が藩の外へ出た範囲は、江戸と水戸の周辺など、ごく限られていたと考えられています。諸国漫遊の物語は、後の時代に講談などを通じて作られていったものだと言われています。
さて、あなたはどちらを信じますか。この噂、誰かに話したくなったら