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企業・食べ物 / あんぱん

あんぱんは、明治天皇への献上で一躍有名になった

真ん中に桜の花の塩漬けをのせた、あのあんぱん。その始まりには、明治天皇と幕末の剣豪が関わっていたと言われます。

Since:明治時代〜Evidence:4

文明開化の足音が響く明治の東京。西洋から伝わったパンは、まだ多くの日本人にとってなじみの薄い食べ物でした。ぱさぱさとした食感に、どこか酸っぱいにおい。「異人の食べ物」として、敬遠する人も少なくなかったと言われます。

そんななか、銀座にあったパン屋の木村屋が、ひとつの工夫を思いつきます。パン生地を、日本酒づくりにも使われる酒種で発酵させ、中に日本人が慣れ親しんだあんこを包み込んだのです。和と洋が出会ったこの新しい菓子パンは、評判を呼び始めました。

そして物語は、ある春の日に大きく動き出します。明治天皇が向島へお花見に出かけられる際、木村屋のあんぱんが献上されることになったというのです。その橋渡しをしたのは、幕末に江戸城の無血開城にも関わったとされる山岡鉄舟。天皇の側近として仕えていた鉄舟が、木村屋のあんぱんを気に入り、献上の話を取り持ったと語り継がれています。

花見の席にふさわしいようにと、あんぱんのへその部分には、奈良・吉野の山桜の八重の花を塩漬けにしたものが埋め込まれたとされます。天皇にも大変喜ばれ、以来あんぱんの名は一躍広まった。春の宴で出された小さなパンが、日本の菓子パン文化の扉を開いた、というわけです。

  • 「あんぱんの日」がある

    4月4日は「あんぱんの日」とされ、献上の日にちなんだものと言われます。記念日として定着していることが、この物語を身近なものにしています。

  • 今も残る桜あんぱん

    へそに桜の花の塩漬けをのせたあんぱんは、今でも定番として売られています。献上の物語が、目に見える形で受け継がれているのです。

  • 山岡鉄舟という人物

    剣や書の達人として知られる山岡鉄舟は、明治天皇の侍従を務めたとされます。歴史上の有名人が登場することで、物語に一気に重みが増しています。

  • 看板の揮毫の言い伝え

    木村屋の看板の文字は、鉄舟が書いたものだと伝えられています。店と鉄舟の縁を示す話として、献上の伝説を裏づけるように語られてきました。

木村屋總本店によれば、同店は明治のはじめに創業し、酒種を使ったあんぱんを考案したとされます。明治天皇への献上は、1875年(明治8年)の春、向島の旧水戸藩下屋敷への行幸の際のことで、山岡鉄舟の仲介によるものだったと同社は伝えています。4月4日の「あんぱんの日」も、この出来事にちなむものとされます。

献上をきっかけにあんぱんの評判が高まったことは広く語られていますが、当時の人気の広がり方を詳しく示す記録は多くはないとも言われます。和菓子になじんだ人々の舌に合う味だったこと、銀座という人の集まる場所で売られていたことなど、いくつもの要因が重なって、あんぱんは庶民の間に広まっていったと考えられています。

ちなみに、あんぱんの成功のあと、日本ではジャムパンやクリームパンなど、パンに甘い具を包む「菓子パン」が次々と生まれていきました。パンの本場ヨーロッパにはあまり見られない、日本ならではの独自の進化だと言われています。

さて、あなたはどちらを信じますか。この噂、誰かに話したくなったら