平将門の首塚を動かすと祟りが起きる
東京の一等地、大手町のビル街。そこには、1000年以上動かせない「首」が眠っていると言われています。
噂の内容
10世紀、関東で朝廷に反旗を翻し、自ら「新皇」を名乗った男がいました。平将門です。しかし940年、将門は討ち取られ、その首は京へ運ばれてさらされたとされます。ところが、首は何か月たっても目を閉じず、夜ごと胴体を求めて叫んだと言われます。そしてある晩、首は空へ舞い上がり、故郷の東国を目指して飛び去ったというのです。
首が落ちたとされる場所の一つが、現在の東京都千代田区大手町。高層ビルが立ち並ぶオフィス街のど真ん中に、今も「将門塚」がひっそりと残っています。周囲の再開発が何度進んでも、この一角だけは手つかずのまま。まるで、時間が止まっているかのようです。
この塚には、恐ろしい話がつきまといます。関東大震災のあと、塚のあった場所に大蔵省の仮庁舎が建てられると、大臣や職員が相次いで亡くなったり、けがをしたりした、と言われます。仮庁舎は取り壊され、慰霊祭が行われたと伝えられます。戦後には、周辺の工事で重機が転倒する事故が起き、工事は中止になった、という話まであります。
塚の周りのオフィスでは、塚にお尻を向けないように机を配置している、という噂まで語られてきました。ビルの谷間に供えられた花は、いつ訪れても絶えることがないと言われます。将門の怒りは、まだ鎮まっていないのでしょうか。
ささやかれる証拠
大蔵省仮庁舎の
異変 関東大震災後、首塚の上に建てられた大蔵省の仮庁舎で、大臣を含む関係者の死去やけがが続いたと伝えられます。祟りの代名詞として最も有名な話です。
戦後の
工事中の 事故 戦後、周辺を整地しようとした際に重機が横転する事故が起きたと言われます。それ以来、塚は動かしてはいけない場所だと強く信じられるようになりました。
大切に
守られ続ける 塚 一等地にありながら、首塚は現在も移されることなく保存され、地元の人々が花や線香を供えています。これほど大切に守られていること自体が、畏れの深さを物語っています。
表向きの説明
将門が討たれた経緯は『将門記』などに記されていますが、首が空を飛んだという話は後世に語られた伝説とされます。大手町の首塚は古くからの塚とされ、由来には諸説ありますが、将門を慕う関東の人々によって長く信仰されてきました。江戸時代以前から供養が行われていたとも伝えられます。
大蔵省仮庁舎をめぐる出来事などは、偶然の重なりとみる見方もあります。一方で、首塚は現在も地元の保存会などによって大切に管理されており、2020年から21年にかけて改修工事が行われたことも知られています。祟りへの畏れとともに、将門への敬意が今も受け継がれています。
ちなみに、将門は東京・神田明神の祭神の一柱として祀られています。明治時代には朝廷に背いた人物であることが問題視され、祭神から外されて境内の別の社に移されましたが、1984年に本殿の祭神として復帰したとされます。江戸の総鎮守の神様は、ずいぶん波乱の歴史をたどってきたのです。
さて、あなたはどちらを信じますか。この噂、誰かに話したくなったら