文字
歴史の異説 / 徳川家康

徳川家康は影武者と入れ替わっていた

260年続く太平の世を開いた天下人。その人物は、途中からまったくの別人だったのかもしれません。

Since:明治時代〜Evidence:3

徳川家康といえば、忍耐の人。幼いころから人質生活に耐え、信長、秀吉の時代をじっと生き抜き、最後に天下を手にした男です。ところがこの家康、ある時期を境に別人とすり替わっていた、という説がささやかれています。しかも一つではなく、入れ替わりのタイミングについてもいくつもの説があるのです。

明治時代、一冊の本が世に出ました。村岡素一郎の『史疑 徳川家康事蹟』です。そこでは、本物の家康は若いうちに亡くなっており、その後は身分の低い別の人物が家康になりすましていた、という大胆な説が展開されていたとされます。発売当時は大きな波紋を呼んだとも言われます。徳川家の権威がまだ色濃く残る時代に、天下人の出自そのものを疑ったのですから無理もありません。

入れ替わりのタイミングについては、ほかにも説があります。有名なのが、大坂夏の陣で真田幸村の突撃を受けた家康が、実はこのとき命を落としていた、という話です。大阪・堺の南宗寺には、家康の墓と伝わるものまで残されているのです。

では、そのあと江戸や駿府で天下を動かしていたのは誰だったのか。影武者が本人になりきり、誰も気づかないまま歴史が進んでいたとしたら。教科書の肖像画を見る目が、少し変わってきませんか。

  • 明治の問題作『史疑』

    村岡素一郎の『史疑 徳川家康事蹟』は、家康が別人と入れ替わったと論じた本とされます。一冊の本が、影武者説を広く知らしめるきっかけになりました。

  • 堺・南宗寺の墓

    堺の南宗寺には、大坂夏の陣で討たれた家康をひそかに葬ったとする伝承と、家康の墓とされるものが残っています。信じる人にとっては、決定的な物証に見えるわけです。

  • 性格が変わった天下人

    若いころの家康と晩年の家康では、行動や性格が違って見える、と指摘する人もいます。人が変わったのではなく、人が入れ替わったのでは、という発想です。

家康は松平元康から家康へと名を改め、三河の統一から江戸幕府の創設まで、多くの書状や公家の日記などの同時代史料にその足取りが記録されています。こうした記録に大きな断絶は見られず、家康を間近で見ていた家臣や大名、公家たちが別人に気づかなかったとは考えにくく、歴史学では入れ替わり説は支持されていません。

南宗寺の墓については、後世に作られた伝承と考えられています。一方で、戦国武将が影武者を使ったという話自体は各地に残っており、天下人ほどの大物ならありえたかもしれない、という想像が、この説を長く生き延びさせてきました。

ちなみに、家康は健康への関心がとても強く、自ら薬を調合していたことで知られています。薬学の書物を読み込み、家臣に薬を与えることもあったとされます。75歳という当時としては長い寿命を保ったのも、この健康オタクぶりのおかげだったのかもしれません。

さて、あなたはどちらを信じますか。この噂、誰かに話したくなったら