西郷隆盛は生きていてロシアにいた
城山で散ったはずの維新の英雄が、ロシアの軍艦に乗って帰ってくる。明治の日本は、本気でそう噂しました。
噂の内容
1877年、西南戦争。明治新政府に反旗を翻した西郷隆盛は、故郷・鹿児島の城山に追い詰められ、最期を迎えたとされています。維新の立役者が、自ら作った新政府と戦って散る。日本中がその死を惜しみました。上野の銅像でおなじみの、あの大きな体の英雄は、享年51とされます。
ところが、人々は西郷の死をすんなりとは受け入れませんでした。この年、夜空に赤く輝く星が現れ、その光の中に軍服姿の西郷が見える、と大評判になったと言われます。人々はそれを「西郷星」と呼び、錦絵まで売り出されました。英雄は天に昇っただけで、まだどこかにいるのではないか。
そして明治24年、とんでもない噂が日本を駆けめぐります。西郷は城山を脱出してロシアに渡り、生きている。そして来日するロシア皇太子とともに、日本に帰ってくる、というのです。新聞もこの噂を取り上げ、世間は大騒ぎになったと伝えられます。シベリアで兵を鍛えている、ロシアの軍艦で戻ってくる。尾ひれは、どんどん大きくなっていきました。
西郷が戻ってきたら、政府はどうなるのか。期待する者、恐れる者。噂は人々の心を大きく揺さぶりました。この騒ぎのさなかに、日本とロシアの関係を揺るがす大事件が起きたのは、偶然だったのでしょうか。
ささやかれる証拠
夜
空の 「西郷星」 西南戦争の年に明るく輝いた星が「西郷星」と呼ばれ、星の中に西郷の姿が見えると評判になったとされます。死後すぐに神格化が始まっていたことを示す話です。
ロシア皇太子の
来日 明治24年にロシア皇太子ニコライが来日することになり、西郷が同行して帰国する、という噂が広まったと言われます。具体的な出来事と結びついたことで、噂は一気に現実味を帯びました。
赦された
「賊軍の 将」 西郷は逆賊とされていましたが、明治22年の大日本帝国憲法発布に際して罪を赦され、位を贈られました。名誉回復のタイミングが、帰還の噂に火をつけたとも言われます。
表向きの説明
西郷は城山で銃弾を受け、側近の手で介錯されたとされ、その遺体は政府軍によって確認されたと伝えられています。ロシアに渡ったことを示す記録はなく、帰還の噂は、英雄の死を惜しむ気持ちや社会の不安の中で生まれたものと考えられています。
明治24年、来日中のロシア皇太子が滋賀県大津で警備の巡査に斬りつけられる大津事件が起きました。この巡査が西郷帰還の噂と関係していたとする説もありますが、動機については諸説あり、はっきりとはわかっていません。また、西郷星の正体は、西南戦争の年に地球に大接近していた火星だったとされています。
ちなみに、東京・上野公園の西郷隆盛像が除幕されたとき、式に招かれた妻の糸子が、夫はこんな人ではなかった、という意味の言葉をもらしたという逸話が伝わっています。西郷は写真を残さなかったとされ、その本当の顔は今も確かめようがありません。
さて、あなたはどちらを信じますか。この噂、誰かに話したくなったら