文字
歴史の異説 / モーツァルト

モーツァルトはサリエリに毒殺された

35歳で世を去った音楽の天才。その死の陰には、嫉妬に狂った宮廷楽長がいたと噂されました。

Since:19世紀〜Evidence:3

1791年12月、ウィーン。神童と呼ばれ、数々の名曲を生み出したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、35歳の若さで亡くなりました。最晩年の彼は、正体を明かさない依頼主から死者のためのミサ曲「レクイエム」の作曲を頼まれていたと言われます。その曲は、ついに完成しませんでした。自分自身のためのレクイエムを書いているようだ、と周囲に漏らしていたとも伝えられます。

モーツァルトは死の少し前、自分は毒を盛られたのではないか、と妻に打ち明けていた、という話も伝わっています。では、誰が毒を盛ったのか。疑いの目が向けられたのが、ウィーンの宮廷楽長として権勢を誇った作曲家、アントニオ・サリエリでした。

モーツァルトの死から30年以上たち、年老いたサリエリが、自分がモーツァルトを毒殺したと口走った、という噂がウィーンに流れたとされます。凡庸な自分と、神に愛された天才。その差に苦しんだ男が、ついに一線を越えたのではないか。モーツァルトの遺体は共同墓地に葬られ、正確な埋葬場所は今もわかっていません。

この噂は、ロシアの詩人プーシキンの劇や、のちの映画『アマデウス』によって、世界中に知られることになります。天才の早すぎる死に、嫉妬という毒は混じっていたのでしょうか。

  • 若すぎる

    35歳という若さで、しかも短い闘病で亡くなったことが、不自然な死ではないかという疑いを生みました。直前まで精力的に作曲していたことも、疑念を強めています。

  • 謎の依頼主とレクイエム

    正体を明かさない人物から死者のためのミサ曲を依頼されたという話は、死の予兆のように語られてきました。物語の小道具として、これ以上ないほど不気味です。

  • サリエリの晩年の

    晩年のサリエリが毒殺を告白したという噂が流れたとされます。本人が口にしたという点が、説の最大の燃料になりました。

モーツァルトの死因については、当時の記録に残る病名のほか、リウマチ熱や腎臓の病気などさまざまな説があり、はっきりとはわかっていません。毒殺を裏づける確かな証拠は見つかっておらず、サリエリの告白とされる話も、病に伏せていた晩年の噂として伝わるにとどまるとされます。

サリエリは当時のウィーンで高く評価された音楽家で、ベートーヴェンやシューベルト、リストといった作曲家を指導したことでも知られています。毒殺説は、プーシキンの劇や映画『アマデウス』によって有名になりましたが、これらはあくまで創作として描かれたものです。

ちなみに、モーツァルトとサリエリが、もう一人の作曲家とともに一つの歌曲を共作していたことがわかっています。長く行方不明だったその楽譜は、2015年にチェコの博物館で見つかったと報じられました。ライバルとされた二人は、ときには同じ曲を作る仲間でもあったのです。

さて、あなたはどちらを信じますか。この噂、誰かに話したくなったら