奈良の箸墓古墳は、卑弥呼の墓だった
宮内庁が管理し、誰も掘ることを許されない巨大古墳。その下に、あの女王が眠っているのかもしれません。
噂の内容
奈良県桜井市。三輪山のふもとに、全長およそ280メートルという巨大な前方後円墳があります。箸墓古墳です。日本で最も古い時期の大型前方後円墳の一つとされ、ここから古墳時代が始まったとも言われる特別な場所です。周囲には、3世紀ごろの大規模な集落跡として知られる纒向遺跡が広がっています。
この古墳には、不思議な伝説があります。『日本書紀』によれば、ここに葬られたのは倭迹迹日百襲姫命という皇女。神の妻となった姫が、ある出来事に驚いて箸で身を突き、亡くなったといいます。そして墓は、昼は人が造り、夜は神が造った、と記されているのです。
一方、中国の歴史書『魏志倭人伝』には、倭国の女王・卑弥呼が亡くなると、直径百余歩という大きな塚が造られた、と書かれています。神に仕える巫女のような女性、そして巨大な墓。二つの記録に描かれた女性の姿は、驚くほどよく似ています。
しかも箸墓古墳が造られた時期は、卑弥呼が亡くなったとされる3世紀の中ごろに近い、という研究もあります。古代史最大の女王は、この緑の丘の下で、今も静かに眠っているのでしょうか。確かめる方法はただ一つ、掘ってみること。ところが、それが簡単には許されないのです。
ささやかれる証拠
神に
仕える 女性の 墓 日本書紀の百襲姫は神の妻となった女性として描かれ、鬼道を用いたとされる卑弥呼の姿と重なると言われます。同一人物、あるいはモデルが共通しているのでは、という見方があります。
築造時期が
近い 出土した土器の研究などから、箸墓古墳の築造を3世紀中ごろとみる説があります。卑弥呼の死は3世紀半ばとされ、時期の一致が注目されています。
発掘できない
陵墓 箸墓古墳は宮内庁が陵墓として管理しており、本格的な発掘は行われていません。中を確かめられないことが、かえって期待を膨らませています。
表向きの説明
箸墓古墳は、宮内庁によって倭迹迹日百襲姫命の墓として管理されています。築造時期については、3世紀中ごろとする説から3世紀後半以降とする説まであり、研究者の間でも見解が分かれています。卑弥呼の墓とする考え方は、邪馬台国が近畿にあったとする説と深く結びついています。
魏志倭人伝の「百余歩」がどれほどの大きさを指すのか、塚が円墳か前方後円墳かについても議論があります。墓の主を確かめる決め手となる文字資料などは見つかっておらず、箸墓古墳と卑弥呼の関係は、古代史の大きな謎の一つとして研究が続けられています。
ちなみに、宮内庁が管理する陵墓には、研究者であっても原則として立ち入ることができません。箸墓古墳では2013年、考古学などの学会の代表者に、墳丘の裾部分への立ち入り観察が初めて認められたとされ、大きなニュースになりました。それでも発掘までは許されていません。
さて、あなたはどちらを信じますか。この噂、誰かに話したくなったら