上杉謙信は女性だった
生涯独身を貫き、決まった時期に腹痛で出陣を見合わせた。越後の龍には、ある秘密があったのでしょうか。
噂の内容
戦国最強の一人に数えられる越後の龍、上杉謙信。宿敵・武田信玄と川中島で何度も激突し、義を重んじる武将として今も絶大な人気を誇ります。しかし、この英雄にはどうしても説明のつかない謎がありました。生涯、妻を迎えず、実子を一人も残さなかったのです。
世継ぎを残すことが何より重視された戦国時代。大名が独身を貫くのは極めて異例でした。本人は仏道に帰依し、女性を遠ざけたとされますが、本当にそれだけが理由なのか。昭和のある作家は、ここに大胆な答えを出しました。「謙信は女性だったのだ」と。
説によれば、謙信は毎月のように決まった時期に腹痛を起こし、そのころには出陣を控えていたとされます。さらに、謙信の死因として伝わる言葉を婦人病と読み解いたり、海外の記録に謙信を景勝の「叔母」と記したものがあると語られたりもしました。
越後の人々が歌い継いだ唄の中に、謙信を女性のように描いたものがある、という話まで飛び出し、説はどんどん膨らんでいきます。毘沙門天の化身を名乗った最強の武将は、実は男装の女城主だった。小説よりもドラマチックな仮説です。漫画やゲームで謙信が女性として描かれることがあるのも、この説の影響かもしれません。
ささやかれる証拠
生涯独身、
子どもなし 謙信は正室も側室も持たず、跡継ぎには養子を迎えました。戦国大名としては異例の生き方で、何か特別な事情があったのでは、と考える入り口になっています。
決まった
時期の 腹痛 謙信が毎月のように腹痛を起こしていたという記録がある、とされます。その時期に出陣を避けていたという話と結びつけ、月経だったのではと推理されました。
謎めいた
死因の 記述 謙信の死因を伝える言葉の一つを、婦人病を指すものと解釈する見方があります。信じる人にとっては、決定的な手がかりに見えるポイントです。
海外の
記録に 「叔母」 当時の外国人が残した記録に、謙信を後継者・景勝の「叔母」とする記述がある、と語られることがあります。ただし、この記録の具体的な中身ははっきりしないとも言われます。
表向きの説明
女性説は、昭和の作家が唱えたことで広く知られるようになりました。しかし、腹痛や死因の記述の解釈には無理があると指摘されており、謙信の死因は、残された記録から脳卒中などの病気だったとする見方が一般的です。謙信が大酒飲みだったという話も伝わっています。
生涯独身だった理由については、仏教や毘沙門天への深い信仰から不犯を誓ったとする説が有力とされます。女性であったことを示す確かな史料はなく、歴史学では支持されていない説です。それでも、謙信の生き方がほかの戦国大名とかけ離れていたことは確かで、その独特さが今も想像をかき立てています。
ちなみに、「敵に塩を送る」ということわざは、塩の輸送を止められて困った宿敵・武田信玄の領国に、謙信が塩を送ったという逸話から生まれたとされます。ただ、この美談そのものも、史実かどうかははっきりしていません。謙信は伝説を生みやすい武将だった、と言えそうです。
さて、あなたはどちらを信じますか。この噂、誰かに話したくなったら